損と得の間に

徳性というものは、樹木でいうと根幹のようなものである。根幹には花や葉が着かぬ。しかしながら、それは直に青天をささげて立ち、無数の枝を派生して、そこに花を咲かせ葉を茂らせる。根幹はつまり万化の根源たる創造者である。近代人は、やれ英語ができるとか、ドイツ語できるとか、劇に通じておるとか、法制に詳しいとかいうことを第一義のことのように大切がるが、それは美しく咲いた花や瑞々しい葉のようなもので、根幹ではない。

安岡正篤著「儒教と老荘」より引用


仕事をする以上、目に見えるもの、数字といったものは、大事だと思う。


でも、なぜ目に見えるもの、数値化といったものに価値の重きがおかれるのだろう?


物事の把握がはかれるから?


もちろん、そうした理由もあるにはある。


でも、本当は、それは正確には把握している「つもりになれるから」だと自分は考える。


なぜ、数値化するのか?


それは、不安だからだ。


将来が不安でならないから、数値化したり、見える化したりで安心したいからだ。


でも、僕はこの安心にも懐疑的だ。


将来的にある程度の予測ができれば、人は安心する。


給料が振り込まれる日、売り上げの入金がされる日が確定していれば、安心できる。


でも、それは不安の裏返しだけであり、絶対的な安心の境地ではないと思われる。


今回のコロナ禍のように理不尽極まりないことが起き、その影響を受ければ、あっという間に反転し、お先真っ暗になるだろう。


人間の心はそんな頼りないことで本当にいいのか?と僕はつい自問自答してしまう。


もっと根幹に目を向けたとき、相反するものを一つにしていくものがあると感じている。


「徳性というものは、樹木でいうと根幹のようなものである。」


本当にそのとおりだと思う。


人間の徳性を存分に発揮する仕事のあり方。


それを追求する時代に入ってきていると痛感する。


根幹を観れば、儲けとは、信じてもらえる人になるということなのだから。


損して得とれという言葉があったように思える。


損と得との間に徳があると感じられる言葉でもある。


5月27日(月)心学読書会

心学商売繁盛塾

商売の根っこにあるものを掘り下げ、人生の繁盛と商売の繁盛を目指す。