霞が関の官庁は、夜の十一時になってもまだ電気がついているというのは、今でもよく言われる話ですよね。皆さんもご存じと思いますが。彼らは、労働時間うんぬんはそっちのけで、昼夜分かたず仕事をしているのです。私は以前、官僚の人に、そのことについて尋ねたことがあるのですが、そうしたら、自分たちはエリートだから、労働時間なんて関係ありませんと言っていた。これは要するに、あなたたち国民は馬鹿だから、犬みたいに、私たち国家の言うことに大人しく従っていればいいということなのです。そういう連中が、いわゆる高級官僚と言われている人たちですよ。ただ、もう皆さんもお気づきとは思いますが、そういった高級官僚たち、自分をエリートだと自認している人たちは、やはりバリバリ仕事をやっているわけです。そして、それが本当の仕事観なのです。エリートは、やはり優秀なんですよ。その口車に乗っている国民が言われている通りの馬鹿ということになるのです。もともと仕事は命がけで打ち込まなければ、そもそも本当の仕事などできるわけがないのです。
最近、つくづく思うのですが、人間の生きていく価値を決めるのは、学歴でも職歴でもなく、読書歴しかないということです。
どんなにすごい職種、役職に就こうが、有名だろうが、収入がよかろうが、ただ生きているだけならば、豚になるしかないということです。
学校の勉強や仕事の専門知識、技術の習得といったものも確かに大切ですが、そうしたものを根底で支える自分なりの見識を持てなければいけないと考えています。
自分が信じてきたこと、考えてきたことを疑い、崩し、再構築していくことが、いつの時代にあっても人間にとって、とても大切なことではないのか?と思います。
やはり、その柱となるのは仕事であり、それを遂行していくにあたっての思想、哲学です。
毎日の読書を通じてそうしたものを一枚一枚積み重ね続けていくと、今の世の風潮のおかしな点、ズレが直感的にわかるのです。
これは、学歴でも職歴でもなく、ひとえに読書歴に他なりません。
たとえば、ステイホームという言葉に僕はとても大きな違和感をもちます。
ありとあらゆるメディアをつかってこの言葉がやたらとつかわれるようになりました。
言葉は悪いですが、犬に向かって「ハウス!」といって犬小屋に押し込めるような印象すら僕はもっています。
マスコミをつかっての情報操作なんてものは、エリートや選良にとってはお手のものなのです。
ワイドショーや新聞、ニュースを得た情報をそっくりそのまま正しいと信じ込んでしまうのは、本を深く読み、議論し、公民感覚を磨いていないためです。
自分が直感的に感じた事柄が、わかりやすく明確にに先の書には載っていました。
働き方改革でワークライフバランスだなんてもっともらしい言葉もよく聞きます。
そうした観念を正当なものだといわんばかりのブラック企業、過労死報道がバンバンされていましたよね。
そうした権力者側の裏の意図を読み込もうともせず、何の疑問も持たずに従順に従っている国民は馬鹿だと誹られても仕方がないと僕は考えています。
僕は冒頭のような文章を読むと、とてもは腹が立ちます。
皆さんも腹が立ちませんか?腹が立たないようなら、それは家畜と同じです。
僕は冗談じゃない!と思いますよ。
だから、もっともっともっと仕事をしようと強く思います。
そして、もっともっともっともっと読書をしていこうと強く思います。
何もしなければ、一生愚民として、エリートや選良に陰で嗤われながら生きるだけです。
そんなのは絶対に嫌だね!と思う方々と是非、ともに学びあいたいと思っています。
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