商売とは、生きるか?死ぬか?の問題。
心学商売繁盛塾の中で出てきた話題。
たしかにそういう面がある。
しかし、どこか心にひっかかると思っていた。
そこで、魂が生きるか?魂が死ぬか?という視点で考えてみるとどうだろう?
心学の祖石田梅岩にしても渋沢栄一にしても稲盛和夫にしても、すべて死の選択をしていないだろうか?
「百尺竿頭に一歩を進む」
魂を生かす死の選択が、商売繁盛とするならば、世の中でいうところの売上アップのための勉強とは、一体何か?
生の選択をすることで魂が死んでしまうという理屈になる。
うまくいったことをなぞることで、不完全燃焼を起こすということだ。
先日の読書会の岡本太郎にしても、三浦義一にしても、分野は違えど貫くものがあった。
そして、例外なく死の選択をすることで、歴史に爪痕を残してきた人物だ。
世間から異端視され、反感を買いながらも、最終的に魂が生きる生き方をしてきた人たちだ。
では、商売繁盛とは一体何か?
そんなところを更に互いに深めていくことが、熟議なのだと自分は考えている。
現場で情けない醜態を曝け出しながら。
そして、失敗や恥に哭きながらも、それでも立ち上がって熟議していくことが、真の学びになるのではないか?と最近は思う。
誰かがうまくいったことをなぞれば、それは死の選択に他ならない。
心学とは、聖人君主になる学問ではない。
むしろ、逆だ。
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