生きるか?死ぬか?

商売とは、生きるか?死ぬか?の問題。


心学商売繁盛塾の中で出てきた話題。


たしかにそういう面がある。


しかし、どこか心にひっかかると思っていた。


そこで、魂が生きるか?魂が死ぬか?という視点で考えてみるとどうだろう?


心学の祖石田梅岩にしても渋沢栄一にしても稲盛和夫にしても、すべて死の選択をしていないだろうか?


「百尺竿頭に一歩を進む」


魂を生かす死の選択が、商売繁盛とするならば、世の中でいうところの売上アップのための勉強とは、一体何か?


生の選択をすることで魂が死んでしまうという理屈になる。


うまくいったことをなぞることで、不完全燃焼を起こすということだ。


先日の読書会の岡本太郎にしても、三浦義一にしても、分野は違えど貫くものがあった。


そして、例外なく死の選択をすることで、歴史に爪痕を残してきた人物だ。


世間から異端視され、反感を買いながらも、最終的に魂が生きる生き方をしてきた人たちだ。


では、商売繁盛とは一体何か?


そんなところを更に互いに深めていくことが、熟議なのだと自分は考えている。


現場で情けない醜態を曝け出しながら。


そして、失敗や恥に哭きながらも、それでも立ち上がって熟議していくことが、真の学びになるのではないか?と最近は思う。


心学商売繁盛塾 2月10日(月)心学読書会


誰かがうまくいったことをなぞれば、それは死の選択に他ならない。


心学とは、聖人君主になる学問ではない。


むしろ、逆だ。

心学商売繁盛塾

商売の根っこにあるものを掘り下げ、人生の繁盛と商売の繁盛を目指す。