岡本太郎曰く
「調和というが、みんなが少しずつ自分を殺して、頭を下げ合って、こっちも六分、相手も六分どおり。それで馴れ合っている調和なんて卑しい。ガンガンとフェアーに相手とぶつかりあって、闘って、そこに生まれるのが本当の調和なんだ。まず闘わなければ調和は生まれない。」
既定路線に沿って無難な道を歩もうとすれば、それが死の選択となってしまうのかもしれません。
逆に非難、顰蹙をものともしない死の選択をすれば、それが生きた仕事になりうるのかもしれませんね。
太陽の塔が現代でも残り、万博を機に再び注目を浴びているのは、なぜでしょうね?
無難を選択しがちな臆病な自分にとって、岡本太郎氏の発言は、胸に響きます。
そして、このような不調和な発想と骨太な哲学が、これからの時代での生き残りへの重要なカギとなってくるような気がしています。
読書なんてしたって意味ないでしょ?
そんなことを言われたら、あなたはどう答えますか?
僕なら、答えられません。なぜなら、成果を上げられていないからです。
成果なんて読書に求めるなよ!なんて言われそうですが。
しかし、成果もなければ、説得力も出てこないと考えます。
成果を上げる一年にできなければ、意味ないですよね。
読書も勉強も仕事も、自己満足だけでやっているわけではないのでしょうから。
人から見られて「やっぱり、読書をしよう!読書をしたいな!」と思ってもらえるような
そんな人生を歩めるように日々精進ですね。
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