1つ質問です。
闇夜の中で川に十銭を落としてしまった時、五十銭の松明を買い、探し求めたという話があります。
このことを心学の祖石田梅岩は、これこそが真の倹約と説きました。
では、なぜ、このことが真の倹約なのでしょう?
答えは、来年!
というわけにもいかないので、説明します。
十銭の落として五十銭の松明を買って、探し求めたということを表面上受け取れば、「こいつは、バカだ。」となりません?
だって、たった十銭のために五十銭使って松明を買って、見つかるかどうかもわからないものを探そうとしているのですから。
全く倹約じゃないじゃないと普通は思いますよ。
では、ちょっと視点を逆転させて考えてみましょう。
落とした十銭が、もしも永久に見つからなければ、どうでしょう?
金は天下のまわりものと言われますが、その天下(つまり世の人々)にとっての損失となってしまいます。
また、五十銭を使って松明を買ったとありますが、松明を買ってもらった人にとってはどうでしょう?
売上、利益につながり、喜ばしいですよね?
松明もそのようなことのためならば、大いに利用されがいもあるというものです。
つまり、金銭にしてもモノにしても、その価値をいかんなく発揮させることが、真の倹約という解釈となります。
自分のように現代風の経済観念、損得勘定に毒されていると、この発想がなかなかできません。
このように一つ一つの根本を問いつづけることが、理に即して生きていくには、非常に重要だと感じています。
今はどちらかというと自身の立場や利害といった利に即してしまいがちですから、道理が見えにくくなってしまいますよね。
土壇場の場面や重大な決断を下さなければならないとき、理に即して判断できるように来年も共に研鑽してまいりましょう!
では、みなさん、よいお年を!
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