ある本にこんなことが書かれていました。
溺れるものは、藁をもつかむという。しかし、藁をつかんだところで、どうなりもしない。(中略)
溺れて藁をつかむ人は、助からない。息の絶ゆるまで、手足の動く限り、陸に向かって泳ぐことに投入することだけが助かる道だ。陸に人の姿を認めて救援を求める努力をするだけでも身を滅ぼす原因になるだけだ。ギリギリの場は、いつもそういうものである。
(こんなことやって、何になるのだろう?)
そんな疑いを自分に投げかけてしまうことが、よくあります。
ですが、こう思うときって、もしかしたら藁をつかもうとしている時なのかもしれませんね。
助かるのか?助からないのか?
つい、こうした二元論的な発想になりがちな自分ですが・・・。
自助をきっちりやってこそ、道が開ける・・・?
いや、道が開ける、開けないではなくして・・・。
最後の最後まで灯明をかざして歩み続けることが、何より大切なことなのかもしれませんね。
「神仏を尊びて、神仏を頼まず。」
宮本武蔵の言葉を、この文章を読みながら、思い浮かべていました。
目先の結果に囚われることなく、凡事徹底、基本の徹底。
たとえ、五里霧中に思えるような状況であっても、いや、だからこそ基本、原理原則に返ることが、大切なことなのでしょう。
今日は、冒頭の文章に救われた気がしています。
言葉というものは、とても有難いものです。
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