「この製品を使う方々がもっと幸福になれますように。」、そう祈りを込めて、マーケットに出してごらんなさい。その製品を使った方々は、その愛のメロディーに包まれて、きっと幸福になることでしょう。どんな物品でも、人の心を受けて蓄えているものです。日本刀の美しさ、それは単なる鉄鋼の技術ではありません。しめ縄を張り、天下泰平と唱えながら打ったればこそです。どんな物でも相応の心を持ち、生きているのです。
経済戦争、シェア獲得争い、敵対的買収などなど。
そうした用語が、経済活動の中で当然のように使われています。
血みどろの争いそのものに経済を捉えてしまう心の癖がついてしまうのも、過去のいきさつを考えてみれば、無理のないことでしょう。
そして、その影響は、無意識レベルでもかなり大きく、深いと感じています。
そもそも、経済の意味とは何か?
世を経(おさ)めて、民を済(すく)うという経世済民(けいせいさいみん)から採られた言葉です。
また、経営という言葉のそもそもは、お経の営み。
時代が変わっても、変わらない、いや変えてはいけない道理を軸に、現実に処するため様々な手を打っていくという意味です。
要は、徳に基づいた事業を展開していくということになるでしょう。
こうした根本の意味を考えてみると、経済のあり方のズレがよく認識できるのではないでしょうか?
歴史を振り返ってみれば、日本は明治維新より弱肉強食の西欧に追いつけ、追い越せで帝国化をはかっていきました。
道理に合わない植民地政策の実施から垣間見えるように、言ってみれば、道義よりも金を選んでしまったわけです。
先の大戦での敗戦もありましたが、近年ではグローバル化といった概念の遍満や高額な役員報酬といった現象からも窺い知れるように、その姿勢はまだ変わっていません。
物質的に我が国は、大いに進歩してきました。
しかし、反面、その進歩と人間としての心のあり方にズレも少なからず生じてしまったようにも感じています。
そのズレを戻すには、本来の経済のあり方、経営のあり方を、草の根レベルで模索し、取り戻していくことが、とても重要ではないでしょうか?
経済や経営の根本義を問えば、相互の助け合いに行き着くはずです。
切磋琢磨しつつも、最終的に和合をしていくような姿を世にしめしていくのが、日本の経営者、個人事業主の責務ではないでしょうか?
そして、売り手と買い手の双方が「ありがとう」と言い合えることが、どこか殺伐とした世の中から脱却していく第一歩ではないか?と思えるのです。
そして、それこそが、進歩ではなく進化した世の中だと思うのです。
経済成長率ではなく、人間的成長率が、今こそ問われているのではないでしょうか?
12月9日(月)無為自然の商人道
経済を取り戻せ!
それが、日本を取り戻す第一歩だと思います。
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