「ぼく、花をひとつ持っていて、毎日水をやるんだ。それから火山を三つ持っていて、毎週煤払いをするんだ。火が消えている火山も煤払いしてやるよ。どうなるかわからないからね。つまり、ぼくのやっていることは火山のためになっているんだ。花のためにもなってるんだ。でも、あなたの持ち物になったって、星にいいことなんて、何もないじゃない。」(サン=テグジュペリ著 星の王子さまより)
上記の本には、何でも所有したがる実業家が登場します。
その実業家は、星までも所有していると思い込んでいます。
星の数をメモ書きしたものを金庫に鍵をかけしまい、貯金していると思い込んでいるのです。
そんな実業家に対して星の王子様が、感じたことを素直に表現している場面です。
自分は、この場面を読んだときに、心のどこかで衝撃を受けました。
自分が所有している(と思い込んでいるもの)モノや、これから所有したいと思っているモノ。
それは、お金であり、仕事用の備品であり、書籍であったりもするのですが、そうしたモノのためになるようなことを考えてきたのだろうか?と、ふと思いました。
たとえば、掃除をするという行為。
どこか自己啓発にかぶれている自分がいて、掃除という行為に何かおまけを期待していたりします。
その掃除という行為が、そのモノのためになっているのかどうか?なんて考えることは、ほとんどありませんでした。
いいことがあるんじゃないか?とか、自分の気持をすっきりさせるとかね(笑)
それはそれでよしとしても、別の視点で考えることをすっぽ抜かしてきたような気がしました。
モノを所有することによって、自分を満足させるのか?
逆にモノを所有することによって、物にとっての満足を追求していくのか?
これって、とても大きな違いではないでしょうか?
モノの作り手、関わってきた人々にとっても、そして、自分にとっても最善なコトとは何か?
そのように思考が逆転したときに、人間は真の豊かさを手に入れるかもしれないですね。
モノを大切に思うその心が、人を成長させていくとも言えるのでしょう。
カタチのあるモノの背後にある目に見えないものの存在。
そこを感じる感性を有したとき、人は幸せの種を掴んでいるのではないでしょうか?
「いちばん大切なことは、目に見えない。」
この書籍の中で使われている最も有名な至言です。
そして、このような言葉は何百回となく他の書籍でも目にしてきました。
何度も目にし、耳にしているものですから、自分の中で概念が陳腐化したように思え、わかった気にもなってしまうものです。
しかし、実際には、あまり理会してこなかったのでは?と思いました。
縁あって、ふと気になって読みだした本。
そんな出会いの中に大きな気づきが、隠されているのだとつくづく思いました。
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