力づくで支配しようとすることが、覇道とするならば、道義をもって物事を治めようとするのが、王道。
自分自身の理会がまだまだ浅いのかもしれませんが、その意味するところはこのようなところではないか?と思っています。
明治維新が、日本という国家のターニングポイントだったという話をよく聞きます。
そして、革命ではなく、維新を行った素晴らしさが礼賛されもします。
しかし、よくよくその中身を見てみれば、礼賛だけで終るような内容でもないのです。
力を持ってして勝てばいいが、負けたら終わりという世界に突入したのが、維新以降とも言っていいかもしれません。
勝ち組、負け組、あるいは自己責任といったどこか殺伐とした言葉がよく使われているのも、維新からの流れを汲むものと自分は解釈しています。
惻隠の情、あるいは健全な死生観の源ともなった武士道は、どこにいったのか?
武士道という言葉すら忘れられる時代となったのも、そのはじまりは維新にあると見ています。
西欧型のシステムと物質文明の進歩の結果、僕らは何を失ってしまったのでしょうか?
その失ったものを取り戻し、王道に復古していくことが、これからの未来に必要なことではないでしょうか?
政治のみならず、経済活動においても道義をもって為していくことが、求められているような気がしてなりません。
売り手としてのみならず、買い手としても。
だからこその心学なのだと僕は考えています。
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