ただ、なんとなく

自分は、つくづく本業に全く関係のなさそうは本ばかりを読んでいると思っています。


でも、自分の読んでいる本のことごとくは、物事の根本を問いかけてくるものばかりです。


だから、仕事とは関係のなさそうな日常の過ごし方が、自分が大切にしている仕事にとてつもなく大きな影響を及ぼすと考えています。


ある著名な元世界王者の空手家が、次のように言っていたのを印象深く記憶しています。


「ある意味、世界大会というのは、その選手の生活の一部始終が表現されてしまう場です。一切、ごまかしようがなく表現されてしまうのです。」


なぜ、生きるのか?


なぜ、自分は今の仕事をしているのか?


なぜ、自分は空手の世界王者を目指すのか?


なかなか自分の言葉では表現しにくいのですが、根底に何か一本貫かれたものがなければ、自分の魂が納得しえないものがあるように感じています。


今日でも、精神的に人より優位に立ちたくて坐禅する者、ただ心を落ち着かせたくて坐禅する者、会社員の躾けや、不良の子どもを反省させるために坐禅させる者、悟れば迷わずに済みそうだからと坐禅する者など、個々人の功利的理由で坐禅する者は多い。だが、実はそれらは皆、間違った道心なのである。自分だけの安心を願った心は、ついに自分自身をも見失わせる。全体と共にあって始めて、ここに存在してきた私たちだからだ。(形山睡峰著 禅に問うより)


不思議なことに、坐禅の部分を読書や商売、仕事と言い換えてもどこか通じるように思えます。


自分独りが単独で存在しえないように、この世の中のありとあらゆる事柄は、自分達が単に認識できていないだけで、大いにつながっているような気がします。


たとえば、履物を揃えないことは、空手に関係ないという考え方では、世界王者になれないように・・・。

10月14日(月)心学講~やめてみるを考えてみる会議


10月28日(月)心学読書会


なぜ、文字の大きさを変えているのでしょうか?


僕にもわかりません(笑)

心学商売繁盛塾

商売の根っこにあるものを掘り下げ、人生の繁盛と商売の繁盛を目指す。