前々から不思議だなと思うことがあります。
もしも、今この場で医師から「あなたの余命は、あと1年です。」と言われるとします。
おそらく、自分は相当なショックを受けるかもしれませんし、残されていく家族を心配もするかもしれません。
ですが、この余命とやらは、ただわからないだけで誰にだってありますよね?
誰にだって平等に死期は訪れてきます。
ただ、それを忘れながら生きているだけで、それを意識せざるを得なくなれば、普段あまり考えもしないようなことを必然的に考えるようになっていきます。
宇宙レベルの時間軸で言えば、人間の一生なんてものは点にもならないくらいのごくごくわずかなものです。
しかし、その点にもならないくらいの微差中の微差で悲喜こもごもの感情が生まれていくという。
普段は死を忘れて生きている一方、死を思い起こさせる重大な事態が生じてくれば、生を忘れて死を思うことになります。
しかし、死を思わなければ、生は生きてこないようにも思えます。
8月のある猛暑日。
親に何の連絡もつかず、つい親の死を連想してしまいました。
そんなとき、生きるにあたり何が大切なのか?が、自ずから湧いてきたように感じました。
そして、最近、死を必然的に考えるような本ばかりを読んでいるようにも感じています。
それが、生を充実させようとするにあたりとても大切なように思えます。
そうしたことを意識し続けていかなければ薄っぺらな生き方になってしまいそうな気もします。
0コメント