ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、かつて山岡鉄舟という剣の達人がいました。
あるお弟子さんが、師匠の鉄舟に「剣の極意は?」と聞いたそうです。
その答えは、たった一言。
施無畏。
何か大きな悩みや不安を抱えた人が、鉄舟の自宅に来ることもしばしばあったようです。
そうすると、その人は家からなかなか帰ろうとしなくなる。
なぜかというと、鉄舟といると安心し、居心地がよくなるからだそうです。
未熟な自分などは、人様から一目置かれたいといった願望が少なからずあります。
お恥ずかしい話ですが、自分の心を見つめるとそうした過剰な自意識があります。
そんなとき、すごい自分、強い自分になろうと柄にもなく思ってしまうのです。
しかし、本当はそこではないはずです。
剣豪とも呼ばれた山岡鉄舟が、なぜこれほどまでに慕われたのか?
この点を考えれば、まさに人に畏れを抱かせない「施無畏」に行き着いてしまいます。
人の悲しみ、苦しみを理会し、どれだけ慈悲深くなれるのか?という点に尽きてしまうのでしょう。
己というものを忘れた先に慈悲というあたたかい世界が深まっていくように思えます。
自分が抱いているような一目置かれたい、尊敬されたいなんて発想は、まるでガキンチョです(笑)
商売をするにしても、武道をやるにしても、そこに行き着かなければ嘘になると自分は強く思います。
強い、弱いの相対の世界ではなく、慈悲という絶対の世界を目指すべきだからです。
そういえば、合気道の達人も次のような言葉を遺しています。
(最強とは、何か?の問いに)
「自分を殺そうとしてきた相手と仲良くなり、酒を酌み交わすことだよ。」
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