「一生勉強」
よく言われる言葉です。
最近、ふと考えるのが、勉強とは、学びとは、一体何だろう?ということです。
例えば、新聞を読む。インターネットで情報を調べる。
こうしたことも確かに勉強かもしれませんが、危ういところがありませんか?
なぜなら、そこにある歪み、偏りといったものまで気づかずに鵜呑みにしかねないからです。
そうした情報は、必ず誰かしらのフィルターがかかって発信されていますよね。
だから、ある情報を目にしたときに(ん??)という直感を自分の中で感じることが、とても大切に思えるのです。
では、その直感を磨くには、どうしたらよいのでしょう?
自分の主義、主張に囚われていると、タコ壷化現象が起きます。
要は、自分の意見とは、反する概念、考え方に対して反対、反発するだけで、そこから何も得ようとしなくなってしまうのです。
恥ずかしながら、これはよく自分が経験していることです。
本来ないはずの自分というものを強く意識した結果なのでしょうね。
自分の存在が否定されるという錯覚に囚われるがために起きる事象なのかもしれません。
ただ、タコ壷の中にいるのは、安心だし、快適です。
否定もされず、そうだ!そうだ!と言われる世界にいるということなのですから。
裏を返せば、人間の進化を阻害しかねません・・・。
無知で愚かな自分に気づかせないのが、タコ壷と自分は捉えているからです。
だから、自分は一本軸の通った本を読むことが大切だと思いますし、現実の中で起きてくる事象に対して自分の反応を変えていくことも大切だと思っています。
要は、信頼に足る直感を磨いていくには、自分が入り込んでいるタコ壷をいかに壊していくのか?ということになるのではないでしょうか?
だから、物事を知るだけでは、学びにはならないと自分は考えているのです。
タコ壷を壊して、視野を広くしていかなければ、物事を観るようにはなれませんよね。
好きなこと、気に入ったことを善しとし、自分にとって好ましくないことを排除しようとするのは、一見良さげです。
しかし、その快適さゆえに人間の視野を狭くし、下手をすると心も弱くしてしまうかもしれません。
逆に捉えれば、異質のもの、反対のものは、自分の囚われ、偏りといったタコ壷のなんたるかを教えてくれる有難いものと言えるかもしれません。
だからこそ、心学商売繁盛塾には同調する人のみならず、異質の人にもより多く参加してほしいと考えています。
濃密な学びの場にしていきたいですね!
主義主張を固めるのではなく、いかに壊すか?が本当の学びになるのでは?と思いますが、皆様、いかがでしょう?
マゾ的な言い方ですが、快より不快を選んだほうが、学びや気づきが多くなると思えるのですが・・・(笑)
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