昨日は、お盆中にも関わらず心学商売繁盛塾の心学講にご参加いただきましてありがとうございました。
お陰様で自分自身も愉しく刺激的な一日を過ごさせていただきました。
そして、かなりの二日酔いをおしてこのブログを書いています笑
たくさんの刺激的な話をいただけたわけですが、その中で印象に残った話を少々。
人間の心は放っておけばあっちにコロコロ、こっちにコロコロして不安定な動きをします。
悩み、不安、恐怖、衝撃といったものに常に動かされてしまうものなのかもしれません。
であればこそ、読書をしていく意義がここにあるのだろうと。
つい、うじうじ考え込む、悩みこむ、塞ぎ込む。
こうしたブレた軸を即座に取り戻し、本来のあるべき精神状態にもっていくというところに読書の意義があるのでしょう。
そこで大切になってくるのが、どのような本を読むのか?だと考えます。
実は、本によって力の強弱があるのです。
一般にノウハウ本というのは、便利ではあるが、弱い。下手をすると害を及ぼすこともありうるのです。
私自身の経験で恐縮ですが、ノウハウに頼ろうとする時というのは、得てして心が弱っている時です。
そうしたときに簡単に手っ取り早く問題を解決したいという欲が、より一層問題解決を遅らせ、こじらせてしまうのではないでしょうか?
一方、逆に何十年も読み継がれている本というものは、とても強い力をもっているわけです。
なぜ何十年も読み継がれているのか?といった所以がここにあるのでしょう。
であればこそ、こうした本は手強いのです。非常に読みにくいという印象を与えています。
ですが、ここで挑戦していくか否か?で大きく道は分かれてしまいます。
手強い本に挑戦する気持ちは、実は日常における困難に逃げずに対処する気持ちと同じなのです。
ところで、今は、簡単になんでも調べられる時代です。
すなわち、物事を知ることが簡単にできます。
一方で、昔に比べ物事を観ることが容易にできなくなってしまったとも言えます。
聞きかじったこと、知ることをもって知ったと勘違いしがちな視野の狭さが、人間の心を弱くしてしまっているのです。
であれば、その視野を広く、かつ深くもてるように自分自身を仕向けていく必要があります。
それが、真実を見極めんとする心そのものが、物事を観るということになるのでしょう。
ちょっと厳しい言い方になりますが、周りに容易に流されない確固とした自分づくりにつながらないようでは、読書をしたことにはなりえないとも考えられます。
己自身の中にある灯をよるべとし。
物事の道理という灯をもってよるべとす。
次回の心学商売繁盛塾は、読書会です。
前半は、ディスカッション
後半は、読書のすすめ清水店長の落語。ではなく、講。
こんな素敵な贈り物もいただきました。有難うございました!
でも、僕は一滴も呑めず、皆に呑まれてしまいました(涙)
皆さま、本当に有難うございました!
また次回以降もよろしくお願いします!
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