公民

「安定を求めることは、悪いことではない。」

学生だった頃に聞いたこの言葉。

納得しつつも、どこか違和感を持っていたことを昨日のように思い出す。

その違和感の正体は、長い年月を経て、徐々に明らかになっていった。

安定と自由とは、相反する。

しかし、安定を求めるほど、不安定を握りしめることになる。

一方で、不安定な自由に身を投じることによって、安定が意図せず手に入る。

安定も不安定も、そもそもは分けられるものではない。

己自身の不明を恥じたい。

そして、自由とは、真理に近づく一歩でもある。

近づくほどに嘘、欺瞞が見えてくる。

これを見識と言うのだろう。

であれば、国民として僕は安定を求めたくはない。

公民として、見識を深めるのが義務なのだ。

4月26日(月)心学読書会

安定にしがみつくほど、人間は堕落するものだ。


政府を攻撃したからといって、その言論は必ずしも過激なものとはいえない。政府が潰れたから国家も、すぐ潰れたということは、絶対に無いわけである。政府が国家を治めていく、その方針や手段が、国民の意に背いている時、国民は遠慮なく政府を攻撃して、当路者の引退を迫るのは、国民の権利であり、これをもって過激なる運動とすることは、決して正当な判断とは言えない。

人間の寿命が永久につづかないのと同じように、政府の寿命も短いものであるのが、真の事実である。政府のほうでどんな不都合を働いても、国民は、絶対に屈従していろということほど、不条理なことは無い。(以上 国会開設と政党秘話より引用


心学商売繁盛塾

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