「安定を求めることは、悪いことではない。」
学生だった頃に聞いたこの言葉。
納得しつつも、どこか違和感を持っていたことを昨日のように思い出す。
その違和感の正体は、長い年月を経て、徐々に明らかになっていった。
安定と自由とは、相反する。
しかし、安定を求めるほど、不安定を握りしめることになる。
一方で、不安定な自由に身を投じることによって、安定が意図せず手に入る。
安定も不安定も、そもそもは分けられるものではない。
己自身の不明を恥じたい。
そして、自由とは、真理に近づく一歩でもある。
近づくほどに嘘、欺瞞が見えてくる。
これを見識と言うのだろう。
であれば、国民として僕は安定を求めたくはない。
公民として、見識を深めるのが義務なのだ。
安定にしがみつくほど、人間は堕落するものだ。
政府を攻撃したからといって、その言論は必ずしも過激なものとはいえない。政府が潰れたから国家も、すぐ潰れたということは、絶対に無いわけである。政府が国家を治めていく、その方針や手段が、国民の意に背いている時、国民は遠慮なく政府を攻撃して、当路者の引退を迫るのは、国民の権利であり、これをもって過激なる運動とすることは、決して正当な判断とは言えない。
人間の寿命が永久につづかないのと同じように、政府の寿命も短いものであるのが、真の事実である。政府のほうでどんな不都合を働いても、国民は、絶対に屈従していろということほど、不条理なことは無い。(以上 国会開設と政党秘話より引用)
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