天才軍師と言われた諸葛孔明。
勝ち続けていた状況で放った一言が面白い!
「次は、敗けろ。」
この言葉は、僕にとっても深い意味を持つ。
物事が右肩上がりに順調に進むとき、そこに潜む罠があると感じることがある。
それは、単に僕の小心の為せる技かと思う反面、ある法則にも基づいているようにも思える。
会社に勢いがついてきたとき、さらなる事業展開で攻める経営者は、今まで多かったのかもしれない。
また、売上を上げることに重点を置くコンサルティングの先生方も多かったのかもしれない。
しかし、今の時代と人口減というこれからの時代状況を考えてみると、「売り上げを下げられる」ことが、求められているのでは?と率直に感じるのだ。
「食っていけたら、それで良し。」
これを心底思えたら、判断を誤ることは、まずないだろう。
ところが、人間は欲深い。だからこそ、勝ち続けたくもなる。
同時にそこでは、必ず私欲が働く。
もっと、売上を!なんてことを思う前に、立ち止まって考えること。
何を考えるかと言えば、自分の心のあり様。
売上、利益が上がるほど、「動機善なりや?私心なかりしか?」を繰り返し自分自身に問い続ける必要があると考える。
さらなる成長よりも、目指すはさらなる(人間や組織の)成熟なのではないか?
SDGSといった流れができつつも、やはり未だに社会システム上、事業においては右肩上がりが強いられている。
また、人々の観念の中にも経済成長神話なるものがこびりついているようにも思える。
だからこそ、逆に敗けることによって、人間として目指したい方向性が明らかになってくるのではないだろうか?
令和の時代は、勝ちつづけることをあきらめることによって、何をもって道理と呼ぶのか?を明らかにしなければいけない時代に思える。
経済の拡大成長路線をそれたところに、真の人間らしい暮らしがあるように思える。
渇くことのない、潤いのある生き方。
それを幸福と呼ばずして何と呼ぼう。
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