ある同業の先生が、次のようにおっしゃっていたのが、とても印象に残っている。
「(埼玉県行政書士)会があってこそ、自分たちは仕事ができているのだから、業務を通じて売上を成り立たせているのであれば、会務にたずさわってお返しをしないといけない。だから、どんどん会務は引き受けたほうがいいよ。」
ここで言う「会務」とは、行政書士会内部での役職を指す。
行政書士会には、会長、副会長、部長、部員など様々な役職がある。
そうした役職に就けば、世間的には素晴らしいとされる面もあるのかもしれない。
しかし、実際には、どれもこれも時間的にも、コスト的にも損する役ばかりなのだ。
自分の仕事に専念し、稼いだほうがよほど割がいいし、得なのだ。
だから、正直、僕はできればそうした役職には就きたくないし、その時間を仕事に割きたい。
でも、これは、ほとんどの方が思っていることだ。稀に会長になりたいなんて奇特な(志の高い)方もいらっしゃるようだが・・・(笑)
そもそも、自分の仕事の時間などを犠牲にしなければ、会務などできるものではない。
実際にそうしてくださっている方々の存在があって、会は成り立っているし、自分たちも無事に仕事ができている。
徳を積むというとなんだかとても素晴らしいと思えるが、その裏側は、自己犠牲で成り立っているようなところもあると感じる。
でも、そんな徳を積み重ねていける人は、人格面でも仕事上の信用面でも厚みが出てくるはずだ。
役職というと名誉なことと思われ、功名心にはやって会長などをやっているのでは?とお考えの方もいらっしゃることと思う。
自分自身も以前はそのように考えていたところもあった。
しかし、現実には私を離れて公の心で会務をしている方々が、ほとんどだ。
以前、別の先生が次のようにおっしゃっていたことを思い出す。
「会長などの役職をやっているのではなく、やってもらっていると考えたほうがいい。」
功名心に駆られてやれるほど役職は甘くはない。
やってもらっているのが、本当のところだと感じている。
数字や役職といった目で見えるところで判断しがちだが、大切なのはその背後にあるものだと思う。
そして、その背後にあるものを、自分自身がどれだけ深く感じられるかどうかだとも思う。
やはり、大変なほうを選ぶことが、生きていく上での正解なのかもしれない。
外形的なものに惑わされないためにも、多くの憂いを抱いたほうが、物事は観えてくるのかもしれない。
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