世の中には、たくさんの職業があります。


小売店、百貨店、サービス業、建築業、不動産業などなど。


ですが、その根底は、一つなのではないでしょうか?


ところで、仕事の肝とは、何でしょう?


誰かの役に立ち、それを喜びにすることが、自分は共通の肝だと捉えています。


私利、私欲、エゴを己の中に感じ、時に、それ故の苦を感じながらも、その方向に自分を導けるかどうか?


たとえ、世に認められるような目立ったことをしなかったとしても、問題が起きなかったこと、何事もなかったことにひそかにガッツポーズができる自分でありたいと思っています。


そう考えると、僕の職業は何だっていいのです。


僕はたまたま、行政書士という職業に縁あって、仕事をさせてもらっているに過ぎないのです。


その職業が向いているのかどうか?


合っているのかどうか?


好きなことなのかどうか?


そうしたことは、問題ではありません。


むしろ、そこに囚われると視野が狭くなるのではないかと。


自分に縁あってやってきたものをどれだけ大切にし、生かせるかどうか?が、大切なことだと自分は捉えています。


そもそも、(天賦の才などない平凡な自分にとっては)自分に合った仕事なんてものはなく、自分が合わせられるかどうか?を考えたほうが、生きがいにつながるのかもしれません。


外側ばかり探し求めても、求めるものは得られないのではないのかなと。


「人を相手とせず、天を相手とせよ。」


なんて言葉がありますが、目の前に来た仕事や人も含めた縁の中に天命があると自分は考えています。


ですが、それは、自分にとって都合の良いもの、好きなものばかりではなく、むしろ逆のケースのほうが多いかもしれません。


様々ないきさつがあったとしても、天は自分に何を欲しているのか?という経糸の視点を持つことが、非常に重要なのではないかと。


そして、外形的な事柄ではなく、もっと根底を見つめて生きれば、天に直結して生きていけるような気がしています。


どのような職業についていたとしても、その根底は一つ。


不思議なことに、心学の心とは、芯にも、真にも、そして深にも変えられる言葉です。


どのような職業であっても、またどのような業界にいても、真に通じる道を発見していくことが、心学の意義ではないのか?と自分は捉えています。


6月22日(月)心学講~ポストコロナ時代の商いの羅針盤


心学商売繁盛塾

商売の根っこにあるものを掘り下げ、人生の繁盛と商売の繁盛を目指す。