戦争にどうしてなるかというと、これは人類史を調べるとやはり人類というのは、不平不満と仕事をやらない、自分だけはうまいことをしたい、怠けて楽をしたい、こういう人間たちが、後を絶たないからなのです。そういう自分が戦争を始めるわけです。他人を落として自分が上がろうとする人々です。
戦争というのは何かというと、わかりやすく言えば略奪なのです。他人の物を盗ろうとする。他人の物を盗ろうとするのはなぜかというと、怠けて楽をしたいからです。だから、すべての人が仕事観に生きたら、怠けて楽をしたいという思想がなくなってくる。その状態まで行けということを言ったのが、釈迦、キリストなのです。
石田梅岩の心学を学ぶほど神仏というものをより一層意識するようになっていきました。
なぜなのだろう?と考えることがよくあるのですが、それは仕事の中に神仏が潜むからなのだとこの文章を読んで感じました。
自分自身、なぜ心学を学ぶのか?を考えたとき、それは己の仕事観の確立に他ならないと感じています。
他者、社会がどうのこうのではなくして、自分と神仏との関係の中で己がどうあるのか?
エゴイズムや怠惰な心を抱えながら、そして、無様な醜態をさらしながらもそれを掴みたいという気持ちがあります。
「人間とは一本の架け橋である。禽獣と超人との間に架けられた架け橋である。」
これはニーチェが語っていた言葉ですが、それを体現していくのが、自分自身の仕事のあり様なのだろうと思いました。
戦争が、人間の欲から生まれるといわれています。
一方、神仏を志向するが如く自己犠牲という人間の崇高さもそこでは間違いなく表現されてもいます。
禽獣の性質と超人志向といった相反する矛盾を抱え、呻吟しながらも生きていくことが、人間が神仏に命じられたことなのではないのか?と思います。
そうした神仏の命令に服従し、献身していくことが、仕事の美学と著書の中で表現されていました。
自分自身の理会の浅さを感じながら、そして美学を体現するには程遠い己の禽獣の心を真っ正直に見つめながら。
やはり自分自身の仕事観、人生観に生きていきたいとこの本を読みながら感じました。
0コメント