「真珠の価値は空しく、されど水をくぐる人の労苦によって貴し。」
水をくぐる人の労苦を知ることなければ、その本当の価値も貴さも理会できないということになる。
では、水をくぐる人の労苦を知るには、どうすればいいのだろう?
仕事をしていれば、理不尽な仕打ちも、落胆することも、また、怒りや悔しさが込み上げてくることだってある。
もちろん、ある失敗から完全に自信を失い、忸怩たる思いを抱くことも1度や2度では済まない。
しかし、こうした毒を喰らい続けていかなければ、物事の価値も貴さも波動として伝わってこないのではないだろうか?
不平や不満を怒りや不安と一緒にぶちまけていれば、いつまでたっても毒は裏返らないのだと思う。
堪え難きを堪え、忍び難きを忍び・・・。言葉にするのは、簡単だが、実行するには、容易ではない。
その容易ではないことの中に、道はあるのではないか?と自分は考えている。
自分は何者か?ではなく、何が自分であるのか?
今置かれている環境にいる自分こそが自分であり、そんな自分に求められている使命が、間違いなくそこに潜むのだと自分は信じている。
今の自分には、到底理会できないような新しい価値観、そして今の自分では及ばないような視野の広さ、愛の深さにつながるものが、必ずや喰らった毒の中に潜んでいる。
流した涙の数だけ、物事の価値を知るのが、人間なのだと自分は考えている。
あっちにぶつかり、こっちにぶつかりして、悩みながら、迷いながら、つまづきながら、生きていくのが、人間の生命としての価値を生むように思える。
問題を解決することに価値があるとされるが、自分は問題を抱えることの中に価値があると考えている。
何に本当の価値があるのか?その心眼を養うものが、心学だと自分は捉えている。
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