浄土宗は、阿弥陀仏を信じ必死に南無阿弥陀仏を唱えてれば極楽浄土に行ける。
そのように思われているために修業が容易な「易行道」と言われているようです。
しかし、信じるとはそのような意味ではないと気づかされました。
親鸞上人は門徒の人たちに向かって、自分は念仏を唱えれば弥陀に助けられるという法然上人の教えを唯信じるだけだ、と語っている。念仏して浄土に生まれるのか、地獄に落ちるのか、そんなことは気にかけない、法然上人に騙されて地獄に落ちても後悔しない、とも言っている。信じるといっても、ここまで徹底しなければ本当の信とは云えない。これが真の宗教である。(安岡正篤先生と禅より引用)
信じるという言葉、宗教という言葉は、小学生でもわかる容易な言葉です。
しかし、そんな言葉をまるで理会しきれていない自分に気づかされました。
当たり前、常識、知っている。
そのように物事を流してしまう自分の頭に喝を入れられた気分です(笑)
知っている、わかっていると思うことこそ、危険と自分は感じています。
なぜなら、その土台の上に築かれる判断の誤りに自分で気づきにくくなるからです。
わかっていなかったことをいかに知るのか?が、本来の学びだと自分は考えています。
だから、今日のこの場を本来の学びの場にしていきたいと切に願っています。
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