コロナ禍が過ぎた後のことをちょっと想像してみました。
思いのほか死者数も少なく抑えられ、感染者数も爆発的に増大することなく抑えられたとしたら?
逆に予想以上に死者数も増え、感染者数も増加したとしても、日本滅亡にはならないでしょう。
感染症なんてのは、ある一定数までいったら必ず終息していきますよね?
感染者ばかりが報道され、回復者があまり報じられないのは不思議ですが、マスコミは恐怖心をあおったほうが注目されるから当然か・・・。
ま、これはあくまで僕の中での想像ですけどね。
いずれにしても事態が終息に向かえば、おそらく、緊急事態宣言が功を奏したと思われる方が多くいることでしょう。
一方、緊急事態宣言を発令する必要があったのかどうか?極端に自粛まですべきだったのか?を議論することはないかもしれません。
現代のように受け身でいたとしても情報がわんさかと流れてくる状況では、立ちどまって考え、国民的議論をしていくことなどありえません。
ひと頃の年金2000万円不足問題もそうでしたっけ。
そこが最大の落とし穴にも関わらず。
一世帯30万円、100万円だと現金をばらまくようですが、その後の増税への口実になりかねないなと自分は考えています。
では、コロナ禍でつぶれてしまった会社やお店の補償問題は?これもなんだかうやむやにされていくでしょう。
仮設住宅で過ごす人たちがいる中でオリンピック開催なんてことをやるくらいですから・・・。
リーマンショックにしても、このたびの件にしても、状況があっという間に変わってしまう。
そして弱い立場の者ほど強烈な経済的打撃を受けてしまうのが、自分たちがなんとなくの空気で求めてきたグローバル化で行きついた結果なのではないだろうか?と自分は考えています。
では、どうすればいいのか?
やはり最終的に拠り所となるのは、自分自身になってくるし、自分自身の仕事への姿勢や人への態度の蓄積になってくるのではないか?と。
損得を超えたお客さんとの関係づくりが、こうしたときに求められてくるし、こうした場面でもきっと生きてくるはず。
だから、政府や世間をいくら批判したって何もならないですよ。
本当の自己責任に立脚しなければ商売なんてしちゃいけないんですから。
これを機に今までの自分の商売のあり方、自分自身の考え方を深く見つめ直していくことが、何よりの財産になると考えています。
グローバル化、コロナなんて流されてくる言葉、空気に流されない自分をつくっていかなくちゃあいけませんね。
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