昔、いわゆるセミナーなるものを受講していた頃の自分はどうだったのか?を振り返ってみました。
現実にしっかり向き合わず、幸せの青い鳥じゃありませんが、そういう類のものを探し回っていたように思います。
そんな自分を温かく迎え入れてくれるセミナーの場所が、どこか心地良かったような・・・。
今振り返ると、そんな気がします。
本を読んでいても、自分にとって都合のよいところばかりを探し求めていたような気もしますし、不都合な事柄には目をつむり、聞く耳をもとうともしていませんでした。
しかし、そんな自分にどこか違和感をもっていたのも事実です。
今思えば、何かを埋め合わせるためにどこかに行く、あるいは、自分の機嫌を取ってもらいに人の集まる場に行くことに対する違和感だったのでしょう。
古来から読まれ続けている所謂「縦糸の本」に出合うようになったのは、ちょうどそのくらいのことだったかと思います。
こうした類の本は、読むほどに鈍い痛みが走るものです。
それは、以前からの自分に対する甘えの反動以外の何物でもなかったのでしょう。
しかし、そうした読書体験を経るごとに世間で有難がられる情報が、いかに子どもだましかということに気づいていくのです。
人間は、ニンジンをぶら下げられれば弱くなります。
そして、実際にニンジンをぶら下げられれば、弱くなったことにすら気づけない愚かさをももってしまうものです。
縦の意識は、決して心地よいものではありません。
むしろ、不快で厳しくもあります。
ところが、そうした不快さや厳しさを転じていけば、本当の慈悲に到っていくのではないか?と最近は思います。
実際には、本だけで十分です(もちろん、何を読むか?が肝要ですが・・・)。
本以上のことは、セミナーや勉強会では教えられないととある有名な先生もおっしゃってもいます。
現実をしっかりと生きようとしていけば、自ずとそうなっていくものではないでしょうか?
夢を叶えるだとか、ワクワクだとかではしゃいでいるいい歳をした大人を見ると、この国は本当に大丈夫だろうか?と思ってしまいます。
闘う意志をなくした小国は、数十年後には、大国の属国になってしまうという説も信憑性を帯びてきてしまいます。
11月11日(月)心学読書会
人間ならば、逞しく生くるべし。
弱者が正義ではない。
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