時に政治家や著名人が、非難され、炎上なる被害を受けているのを見ると、(どうでもよいし、くだらないな・・・)と思います。
というのは、大嘘でどことなく気に食わない人が対象であれば、心のどこかで(ざまあみろ~)な~んて悪態をついていることもあります(笑)
そして、スキャンダラスなネタにアンテナが引っかかってしまうような、どこかのぞき見主義のいやらしい自分にも気づいたりもしてしまいます。
かっこよく生きたいと思う反面、その真逆にいるかっちょ悪い部分を感じることが、多々あるのです。
でも、それもあっていいという気もします。
そんな情けない弱者たる自分に文句も、批判も、非難もせずにじっと見つめていきます。
すると、そんな虚勢をはっているかのような自分が、どこか力なくしおれてくるように感じることがあります。
そんな自分じゃダメだとか、情けない自分だとか、そういったことも思わずに、ただじっと見つめていくだけ。
すると、どこからともなく慈悲の心のようなものがじわっと出てくる気もしています。
政治家や著名人の失態や失言への正当化された怒りとは、もしかしたら、自身の惨めさの裏返しなのかもしれません。
そんな惨めな自分をただひたすらじっと見つめていけば、人としてどう生きていったらいいのか?という慈悲の道が開けていくような気もしています。
慈悲に裏づけられた力強さ。
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