暗く重い感覚

私たち人間は、時に、自分の都合に合わせて一方ばかりを求めすぎる。例えば、もし、全人類が平等に豊かさを得たなら、地球上の他の生き物は滅びるしかない。世界に極端な貧富の差があるのは人類の罪だが、そのお蔭で今日の日本の豊かさも成立してきたと気づかねばならない。単に思い込みの無心や自由、理想社会を正義と思い、安易に具体化させたら、即座に他方が崩れるようになっている。その事実をよく納得してきた清浄の行者は、世間と共に生きる道を喜び、本物の破戒の比丘は、地獄の苦しみに迷える者を少しでも極楽へ導こうと、我を忘れて奔走しているのだった。己一人悟り澄まして現実社会を卑下している者や、社会の不合理を叫んで他人を責めてばかりいる者には、思いもよらない境地が、そこにはあった。(以上 「禅に問う」より引用


自分には、この「思いもよらない境地」がいかなるものなのか?は、わかりません。


しかし、世の中の不合理、矛盾を我が物顔に指摘し、正義の顔をして現実社会を非難することに違和感をどこか感じてもいます。


このモヤモヤした感覚は、一体何なのだろう?と自問することもあります。


自分が道理から逸れたとき、そうした感覚を覚えることが多いように感じてもいます。


世間一般に信じられている正義に安易に飛びついたときに感じる矛盾。


このように表現したほうがよいのかもしれませんが、そこに感じる違和感。


あまり気持ちのいいものではありませんが、こうしたどこか暗く重い感覚を嘘偽りなく感じて生きていくことが、大事なように思えます。


世間の中では、明るく元気なことが、大切とされているようです。


しかし、一方ばかりを求めすぎてしまうこと、傾きすぎてしまうことに感じる違和感を持つことが、より大切なことではないか?と思えてしまうのです。


どうも、僕は天邪鬼で仕方がない・・・(笑)

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