昔、ある方が次のように言っていたことを今でも思い出します。
「教えることによって学べる。」
通常、教える側と学ぶ側というのは、相対しています。
通常は、教える側1人と学ぶ側複数という図式になります。
ところが、心学商売繁盛塾では、結果的にそれが崩れつつあります。
教える側も学ぶ側も同じなのです。
かえって伝えることによって、さらに多くのことを学べているのかもしれません。
ところで、昔、「コウの字ゲーム」というものをやったことがあります。
最初に自分だけでコウと読みがながつく漢字を思いつくだけ書いていくわけです。
講、孝、工、校・・・といった具合に。
それを今度は、3人に増やします。
すると思いつくコウの字が圧倒的に増えていきます。
そして最後は数十人という単位で行います。
結果、コウの字が莫大に増えていくのです。
心学商売繁盛塾でやれるのは、まさにこれだと思うのです。
たとえば、集客というお題で話し合うとします。
それぞれの経験に即し且つ現場感覚にもとづいた話の展開になっていくため、聞いている側にとっては非常に濃密で面白いものになっていきます。
一方の教える側、伝える側も、アウトプットを通じてモヤモヤをはっきりさせることができるし、その中で自身の考えや思いが飛躍していくこともあり得ます。
教える側、教わる側と分けられたものが、一つになっていくという感覚といってよいのでしょうかね。
最近、この塾にとてつもない可能性を感じるのです。
昨日、塾をやっている中でも、そのきざしを僕は感じました。
まだまだ、やりたいこと、話し合いたいことがたくさんあります。
トライアンドエラーを繰り返しながらも、らせん状に皆さんとともに進化していきたいと考えています。
通常、何かをやることばかりに考えがいきがちです。
しかし、実はやることの裏側には、膨大なやらないことを決めるという決断があります。
やらないことに焦点を絞って引き算をしていくことで、大切なやるべきこと、やってみたいことが浮き彫りになっていくのではないか?と思うのです。
今まで定石、鉄則とされてきたことを一度捨ててみる。
捨ててみることによって、逆に価値あるものに出合えるのではないか?と思えるのです。
今まで当たり前とされてきたことが、通用しなくなっていく時代になると自分は見ています。
だから、商売の予定調和を崩した中にこそ、新たな可能性への道がある。
なんだか、自分にはそう思えてならないのです。
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