大学生だった頃、自分はかなりダラけて過ごしていたと思います。
何か目標があるわけでもなく、何か好きなことがあるわけでもなく、そして何か一生懸命になることがあるわけでもなく。
そんな無為の日々を暮らす中で、不思議なもので何かがんばれるものがほしい!と心のどこかで常々感じていたことを思い出しました。
そんな奥底にある思いが通じてなのかわかりませんが、今、幸いにもがんばりたいことがあります。
というよりも、がんばらざるをえない環境でもあるのですが(笑)
「頑張って頑張って、頑張り抜いて、結果は問わないさわやかさがなければいけない。」関大徹著「食えなんだら食うな」より
自分はこの部分を読んで心が揺さぶられました。
巷の善し悪しという基準で考えれば、頑張っても結果が出なければ意味がないということになります。
しかし、本当に無意味なのでしょうか?
頑張って頑張って頑張り抜いた境地にいたというそのことが、とても充実していたはずですし、生きている実感を湧き立たせてくれたのではないか?と自分には思えます。
にんじんをぶら下げて突っ走るよりも、にんじんなど無くても突っ走れるほうが、生命にとって意味があるように思えるのです。
結果がなかなか出ずにしょげてしまう自分がいるがゆえに、にんじんなどぶら下げられなくても仕事に三昧になれる姿に憧れてしまうのです。
結果は求めるものではなく、自ずとついてくるものかもしれません。
また、たとえついてこなかったとしても一心不乱に頑張ったそのことが、大きな産物になると感じています。
まだまだ頑張り抜けていないのでは?と自分に問いかける日々ですが(笑)
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