自分は、どうも特定の人を師とすることが、昔から苦手なのです。
実は、昔々の高校生の時の話です。
ある人に騙されて(?)、とある団体の会合に出席しました。
そこは、ある特定の人物を先生と崇める団体でした。
その時分からひねくれ心が自分にはあったものですから、とても怪しい感覚を覚えました。
たとえ、皆から尊敬、崇拝される人であっても、同じ人間であることには変わりないじゃないかと生意気にも高校生の自分は考えていたのでした。
いや、尊敬、崇拝されるほど怪しいぞと・・・(笑)
もちろん、立派な人物であることには変わりないのでしょうが、この違和感は、今の自分にもぬぐい切れていません。
高校生の頃の自分は、その頃から妄信する危険性を感じていたのかもしれません。
ここは、今の自分でも褒めてあげたいところです(笑)
というのも、教えをいただくのは、特定の「先生」だけに限らないと感じているからです。
そして、本を師とすれば、道を踏み誤ることも少なかろうとも思えるのです。
ところで、今の世の中は、功利主義にだいぶ傾いていると思えます。
結果、勉強会にしても、書籍にしても、自分が何かを得ようと考えてしまうことが、多いのかもしれません。
自分がいかに有利な立場に立てるのか?
自分を有利で楽な方に導こうとする損得勘定。
今、振り返って思えば、受験や就職活動などでも、自分自身も功利主義に浸っていましたね。
そして、今でも功利主義に陥っている自分を感じることも多々あります。
敢えて極論で言いますが、なぜ功利主義はダメなのか?
次に何が起きるかわからない無常と言われる世の中で、果たして理論的な計算通りに事が運んでいくのでしょうか?
実は、既に人生の正解なんて誰にもわからない世の中になっていませんか?
そして、そもそも正解を掴もうとする姿勢そのものが、時代遅れになっていませんか?
したがって、功利主義が通用していた時代は終焉を迎えていると自分は考えているのです。
正解はわからないけれども、直感を信じて思い切り人生の舵を切っていくことが、個人でも求められる時代になっているのではないでしょうか?
そういえば、自己啓発本などでもよく見かける言葉ではありますが、「人生の師を見つけろ。」
このような概念なども功利主義的に活用されそうですが、これは不正解です。
人生の師は周りに既にいるからです。
これからの時代、その心眼を養うことが、非常に重要なのではないでしょうか?
我以外皆師。
そして、我もまた師となりうるのです。
お互いがお互いに善き影響を与えながら、共に人としての進化をはかっていきましょう。
そして、自分自身が信頼できる己の中の直感を共に磨いていきましょう。
そのような場所に心学商売繁盛塾を心底していきたいと心から願っています。
そして、皆様にとってより善き人生がここをきっかけに開かれていくことを心より、心より願っています。
お互いの敬意と慈悲心、そして明るさとユーモアでこの読書会が、元気になってもらえる場所でありますように。
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