チェーン店化したラーメンは、なぜおいしくなくなるのか?


ちょっと挑戦的な題名です(笑)


もしかすると、自分と同様に題名のような感覚を持たれている方もいらっしゃるかもしれませんね。


実は、先日、ラーメンが食べたいと思い、お気に入りの個人店のラーメン屋さんに足を運びました。


ところが、残念ながらお盆休暇中だったため、前から気になっていたラーメン屋さんに行きました。


ここは何店舗もあるチェーン店ですが、はじめて入りました。


いつも繁盛していて前から気になっていたお店だったからです。


実際に食べてみるとおいしいのです。しかし、同時に何か物足りないものも感じてしまいました。


これ、実はチェーン店のラーメン屋さんのラーメンを食べると自分はよく感じられることなのです。


理由は、何でしょう?


以前、とある小冊子に次のようなことが書かれていました。


Aさん「チェーン店のラーメン屋さんは、あまりおいしく感じられないのですが、個人商店のラーメン屋さんは、おいしく感じられるのです。なぜでしょうね?」


Bさん「それは真心だよね。おいしいラーメンを提供したい真心が、そう感じさせるのですよ。」


もちろん、チェーン店のラーメン屋さんだって一生懸命につくっておられます。だから、おいしいですし、お客さんからも支持されるのです。


そしてもちろん、おいしいラーメンを提供したい真心もあるはずです。


が、次々にチェーン店化をはかれば、どうしても計算も重要視されていくはずです。


客数、回転数、原価率、売上予測、地域の人口と年齢層、家族構成等々。いわゆるマーケティングですよね。


この計算の度合いが強くなるほど、原点であるはずの「おいしいラーメンを提供したい真心」が、薄れていってしまうのでは?と思えなくもないのです。


それが、思いのほか繊細な感覚をもつ人間の舌に微妙な影響を与えるのではないでしょうか?


もちろん、経営していくにあたり利益率、キャッシュフロー、客数、単価といった計算も大切ですよ。


しかし、第一義に大切なのは、ベタな言い方ですが間違いなく心のあり様ではないでしょうか?


なぜ、チェーン店化するのでしょうか?というより、1店舗がうまくいけば、なぜチェーン店化したがるのでしょうか?


もちろん、そこにはこの味を広めたいという思いもあるのでしょうが、もっともっとという欲も少なからず影響を与えると思えるのです。


もちろん、チェーン店なんて認めないなんて野暮なことを言うつもりは毛頭ありません。チェーン店にはチェーン店の大切な役割もあるからです。


しかし、第一義に大切にしなければいけないことと第二義的なこととの順番をはき違えてはいけないと自分は考えています。


どんなに素晴らしい理念であったとしても、その根底に我欲がないとも限りません。


特に儲けを目的とする営利活動をしていくのであれば。


ところが、その欲が微妙な影響を経営に及ぼすこともありますよね。


お客さんの顔を見るより数字を見るようになってきたら危ないですよね。


また、うまくいったときほど、自分を戒めなければいけないということなのでしょうか?


「動機善なりや?私心なかりしか?」


そんな言葉を改めて思い浮かべてしまいました。


商売は人づくりからはじまり、人づくりは心を創ることからはじまる。


8月26日(月)心学読書会


心学商売繁盛塾

商売の根っこにあるものを掘り下げ、人生の繁盛と商売の繁盛を目指す。