日本の企業の特徴は、その存続能力といわれています。
諸外国に比べダントツに100年以上存続する会社が存在していることが、それを物語っているようです。
自分もそのような会社が多数存在することに誇りを感じますし、とても素晴らしいと思います。
しかし、一方で、会社という有機体が存続していることそのものに価値を見出していくことに疑問も感じてもいるのです。
人間は、生まれた以上、必ず死を迎えます。
例外もありません。
では、死を迎える、この世から消滅していく意義とは何だろう?とふと思います。
区切りあるからこそ、美しく咲くこと、激しく燃えることもできるかもしれないなとも思うのです。
死があればこそ、生が煌めくということもあるのではないでしょうか?
鈴木商店という伝説の会社をご存知でしょうか?
明治から大正にかけて存在した会社で一時は三井、三菱といった財閥をもしのぐ勢いでした。
結局のところ、鈴木商店は残念ながら100年企業にはなりえませんでした。
しかし、その魂は昭和シェル石油、帝人、神戸製鋼といった日本経済をけん引する企業に受け継がれています。
このように死をもって他を生かす道もあるのだとも感じています。
では、死とは?消滅とは?と考えたとき、本当にそうしたものはあるのだろうか?という疑問も湧いてくるのです。
僕らが抱いている思念ややってきたことの蓄積というのは、たとえ肉体は消滅してもこの世に影響を与え続けていくのではないか?と。
ちょうど鈴木商店が消滅することによって他が生きてくるように。
死とは生にもなりえます。
存在は消滅と同義であるような気もしてくるのです。
そういえば、鈴木商店のことが数年前にドラマ化されましたね。
原作もかなりおススメっすよ。
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