言語

数年前、読んでもチンプンカンプンだった本が、理会できるようになる。


これって、単に知識や語彙力、読解力といったものが原因がではないと思う。


もちろん、専門的な本になればそういった知識が必要とされるけれども。


実際に自分が仕事などをとおして体験していかなければ、わかることではないよね。


やってきたことでなければ、語れない。


そして、やってきた蓄積から魂が共鳴しなければわからないのが、読書なのでは?と最近はつくづく感じる。


その道を究めているような、いわゆる達人の言葉が、よくわからない。


そうしたことは、自分にはよくある。


それは、自分の体験を通じてそのことがわからないということ。


それは、その境地にはまだまだ自分は至っていないという未熟さでもある。


読書って、単なる知性に依るものではなく、そういったことを残酷なまでにわからせてくれるものだと思う。


知性でわかったつもりでいれば、かえって未熟さを曝け出すことになる。


読書の世界でも、商売の世界でも同じじゃないかな?


11月9日(月)心学読書会


生きることは、体当たりだ!


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