普通に暮らす

どんなに知性に頼っても、根底に恐怖心がある限りまともな判断はできない。


今の僕は、強くそう思う。


なぜなら、少し前まで恐怖心にとらわれていたから。


そして、そこに気づかされたから。


今、世間の話題は、コロナ一点張りだ。


〇〇で死者が出た!感染者数が〇〇だ!自粛だの中止だのと大騒ぎ


そこで著名人などが死んでしまえば、パニックに拍車がかかる。


ところが、こうしたことは恐怖心からくるものばかりであり、そこから派生するものはすべて的外れになってしまう。


実は、こっちのほうが怖いというね(大笑)


結果、壊滅的な経済ダメージを自らに与え、それを見たどこかの国は大喜びという図式に陥る。


コロナから回復した人よりも死んだ人のほうにばかり目を向ける、あるいは向けさせられてしまうのは、根底にある恐怖心にコントロールされてしまっているから。


それを理性、知性でなんとかしようともどうにもならないはず。


志や使命感に駆られてなんて言っても、すべてとんちんかんなことしかできなくなってしまう。


原因はどこか?


死を感じることなく生ばかりを見てしまう。


病を受け入れず、健康ばかりを追い求める。


人生に保証を求め、安全ばかりを追い求める。


結果、恐怖心が生の根底に芽生え、がんじがらめにされてしまうということだと自分は考えている。


では、自分がコロナに罹ったら?


そりゃ嫌ですよ。でも、肺疾患も抱えず、まだ高齢者ではない自分であれば治癒するはずです。


で、もし治らなかったら?


嫌ですけど、あきらめるしかないじゃん!


でも、本当の意味であきらめられれば、むしろ罹りにくくなるのでは?と考えている。


頭のイイ、知的な人からすれば、僕が書いたようなこのブログは、無責任でバカなことにしか思えないはずだ。


でも、バカな自分からすれば、恐怖心に煽られて恐怖を拡散しているだけの偉い人たちのほうがバカ面に見えてしまう大丈夫なの?と思えてしまう。


かく言う自分も、ほんの少し前までそうしたバカ面をしていたのでしょうけど(笑)


今の時期は桜の花が美しい。


でも、恐怖にとらわれてしまえば、その美しさの10分の1も感じられない。


これでは、限りある人生がもったいない。


もったいなさすぎる!


自分は周りに安心を感じさせることができたら、うれしい。


少なくとも家族や縁ある周りの方々にはそうして生きていこうと思う。


今週末は、花見にでも行こうかな?


あ、予報は雨だった・・・。


いずれにしても、僕は普通に暮らしていくよ。


4月13日(月)心学講


ところで自粛、自宅待機と簡単に言うけど。


結果、お偉いさん方や職員の給与も民間並みにストップ、あるいは組織の破産に見舞われてしまう状況であれば、早々に言い出せるものではなくなるでしょうね。


やはり、恐怖心は偽善しか生まないのでしょう。

心学商売繁盛塾

商売の根っこにあるものを掘り下げ、人生の繁盛と商売の繁盛を目指す。