自分を超えた基準

好き嫌い、理会できるできないといった基準で物事を判断しがちですが、本当はそうじゃないでしょうと心の奥底で以前から感じていました。


そして、自分の価値判断を超える何かを感じ取ることができなければ、人間としての思想は進化しないのだろうなと。


挙句の果てには、「自分の」判断は間違っていないなんて愚かなことをも思いかねないというね。


では、自分の価値判断を超える何かは、どこにあるのでしょうね?


僕は、自分から能動的に取りに行くことの中にしかないと考えています。


受け身では決して得られないところにあります。


代表的なものとして挙げられるのは、本でしょう。


それも自分の欲を叶えるためのノウハウ本ではなく、生きることそのものをより深く考えるきっかけを与えてくれる古典や文学。


多くの人は、こうした本の力をナメているのでは?と感じることが多々あります。


娯楽や暇つぶし程度にしか考えていない・・・。


で、よくよく聞けば、古典や文学など読んだこともない。


理由は難しいからとか、関心がないからとかね。


でも、これって自分の価値基準の中に閉じこもるヤドカリ状態といえなくもないですね。


そこを超えなければ、普遍的価値あるものに触れることすらできませんから。


自分は間違っていないという判断から、自分は間違っているかもしれないという判断のほうが賢明と自分は考えています。


理由は、常日頃、書物などで自分の価値基準、自分の知識を超えたものに触れ続けているから。


自ずと謙虚にならざるをえないのが、本当のところなのでは?と思います。


読めば読むほど己の愚かさ、至らなさを思い知らされる。


そうした本を読まなければ、読書にならないとすら自分は考えています。


苦しい読書ができないようでは、本当の人生の楽しさを味わえないとも考えています。


「自分の」という囚われや幻想から脱却していかなければ、商売だってとん挫するのではないでしょうか?


自分で勝手につくりだしている枠をぶっ壊すためにも、こうした勉強会は必要でしょう。


4月13日(月)心学講

心学商売繁盛塾

商売の根っこにあるものを掘り下げ、人生の繁盛と商売の繁盛を目指す。