命もいらず、名もいらず

人間は、不幸に見舞われなければきっと成長しないのだ。


不幸を嫌い、不幸を避け、善とされること以外が認められにくい世の中にあって、不幸を追求していくような生き方はバカでしかない。


しかし、そのバカになれなければ、価値ある生き方ができないのではないか?と感じることがある。


価値ある生き方というと、周りから認められ、尊敬される生き方と思われるだろう。


でも、僕はむしろそうならないほうが、人間としてまっとうな生き方ができるような気がするのだ。


もちろん、そこには成功者や偉人への嫉妬も多分に入っているのかもしれない。


しかし、理会者が周りにたとえいなくても自分の信じるところを突き進めることに価値があるのだとどこかで思っているのも事実だ。


本を読んで苦しめなければ、真に生きているといえないのでは?と最近はつくづく感じる。


楽しさを追求しないところに真の楽しさがあるような気がするからだ。


報われるような、結果が残せるような生き方をするほど、人間は堕落していくのではないか?と思えなくもない。


報われる、報われない。成長する、しない。


そうした現象にとらわれない生き方にどこか憧れているような・・・。


「命もいらず、名もいらず、 官位も金もいらぬ人は、仕末に困るものなり。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」


国家の大業のみならず、日常にも通じると自分は考える。


3月23日(月)心学読書会


こんな自分が参加しているのだから、かなり毛色の異なる勉強会なのですよ。



心学商売繁盛塾

商売の根っこにあるものを掘り下げ、人生の繁盛と商売の繁盛を目指す。