昨日は、心学読書会でした。ご参加してくださった皆様、有難うございました!
昨日の話の中で印象に残ったことがたくさんあるのですが、その中で「超理屈」という言葉について触れてみたいと思います。
たとえばの話。
植物の種を土に播き、水と日光を適度に与え、空気があれば芽を出していきます。
芽から茎や葉が育まれ、光合成が云々と。
このように目に見えることは、理論的に説明可能です。
では、なぜ種から植物が生まれてくるのでしょうか?
あるいは、なぜ植物というものがこの地上に存在できる仕組みが出来ているのでしょうか?
これって、考えてもなかなか答えが出てきませんよね。
そして、これは、植物の種のみならず、人間や動物の命にも同様のことが言えます。
ただ、一点わかるとすれば、何かよくわからないけれども、生命の背後にあるすべてを生成発展させていくナニモノかの力が平等に働いているということです。
それを人々は、神や仏と呼んできたのでしょう。
では、なぜ、そうした存在があり、そのような力を働かせてきたのでしょうか?
物事を深く、深く考えていくと、科学的に説明できない事象に必ず行きついてしまいます。
目に見える事象をすべて理屈で説明しようとすることは、比較的たやすいのです。
しかし、あらゆる事象の奥にある働きのなぜ?といった根源的な問いをもってしまえば、理屈では到達できない境地まで想像していかざるをえなくなります。
なぜ、地球は存在するのか?なぜ、生命が活動できるような環境が、地球上に整えられているのか?
一体、自分とは何者か?
考えても理論的に説明できない、理屈を超えたものが、等しく存在しています。
そして、そうした理屈を超えたナニモノかが、例外なく世の中の創造力の根本にあります。
一方、目に見える世界であるこの世の中では、創造力の表れである結果が出てくるナントカ理論に価値があると思われているようです。
しかし、本当に価値があるものは、その創造力と同化し自分自身でこの世の中に何かを生み出そうとする心、行動、積極的態度なのではないでしょうか?
ノウハウとは、ノウハウでしかなく、自身で何かを生み出そうとする心のあり方にこそ価値がある。
価値がありそうなものを掴もうとしても、それは価値ある結果を必ずしももたらすものではありません。
価値あるものにすがろうとするのではなく、価値あるものを生み出そうとする姿勢が、宇宙との調和をもたらすと考えられなくもありません。
理屈を超えたナニモノかを掴もうとするがゆえに、熱心に仕事をし、熱心に学び続ける。
それこそが、人間の創造力の発揮につながっていくのではないでしょうか?
人間の本当の生きがいとは、超理屈の中にあるのかもしれませんね。
11月4日(月)心学講 失敗の秘訣
11月11日(月)心学読書会
読書会の課題本が、決まりました~。以下の二冊となります。
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