先日、ある著名人が、ラーメン屋を開業したときの記事を読みました。
店を開業するにはえらくお金がかかるという話でした。
開業当初は、右も左もわかりません。
だから、今考えてみれば不必要な設備投資までしてしまったということでした。
「売り込むほうもプロなので、そうした設備にまで投資してしまった。」という箇所を読んだとき、自分には強い疑問が湧きました。
それは、プロという言葉の使い方なのです。
自分は、主に行政手続きを行う職種ですが、その手続きは以下のように分けられていきます。
①今すぐやったほうがいい手続き
②なるべく早い段階でやっておいたほうがいい手続き
③今はやらなくてもいい手続き
④全くやる必要のない手続き
⑤やってはいけない手続き
大まかに言えば、以上の5点に集約されます。
では、自分はプロとして③~⑤の手続きを売り込むことをしているか?といえば、逆でしょう?
プロなのだから、やる必要のないこと、やるべきでないことを伝えるのではないでしょうか?
そうしたことを無理にでも売り込めば、どうなるのか?なんてことは、自明の理です。
ところが、この自明の理というのは、経済活動の中では時にわかりにくくなるものです。
そこには、欲がからんでくるからだと自分は考えています。
随分と当たり前のことを書いているつもりですが、欲にからまれて当たり前のことがわからなくなる時もあるはずです。
そして、欲に囚われれば、何がインチキなのか?という判別もつかなくなってしまいます。
売って結果を残すことも大事ですが、売る必要のないものを正直に伝えることは、それ以上に大切だと自分は考えています。
その先に相手の利があるのかどうか?が、商売の理と考えますが、いかがでしょうね?
いよいよ明日、心学読書会開催
ところで、一見正反対に思える「当たり前」と「有難い。」
しかし、そう容易なことではないという意味で共通なのかもしれません。
当たり前に思えることをナメていれば、いつか必ずしっぺ返しが来てしまいます。
仕事上でも日常でも、それは痛切に感じることです。
当たり前は容易なことではないと感じるためにも、失敗、過ちは大切な教訓になりえますよね。
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