昨日の心学商売繁盛塾の中で考えさせられることが多々ありました。
今日は、その中の1つ「最近の健康志向」についてです。
自分が子どもだった頃、今と比べるとだいぶ不衛生でした。
今のようにミネラルウォーターなどなく、カルキ臭い水をがぶ飲みしていました。
また、コンビニもそれほど店舗数はなく、近所の酒屋さんでよく買い物もしていました。
その酒屋さんには、賞味期限切れの食品なども平気で置いてありましたね(笑)
駄菓子屋などで合成着色料入りの菓子類を平気で食べて、色の着いた舌などを見せ合いっこもしていました。
そんな不衛生な昔に比べ、今はとても清潔な世の中になったのだと思います。
最近、小さな子どもを育てていると、特に男の子はよく病気に罹ります。
必然的に病名などを覚えてしまうのですが、かつて、聞いたことのないような病気ばかりなのです。
もちろん、科学的に病原菌が解明されて新たに病名がつけられたものもあるでしょう。
しかし、これだけ清潔になったにも関わらず、病名が増えていくという現実に何か違和感をもつのです。
不純物を排除し、清潔を追い求めるほど、逆に抵抗力がなくなっていく現実もあるように思えます。
また、病気は決して悪いものではなく、体の中の抵抗力、免疫力がつくられる機会とも捉えることもできます。
時折、この食品には〇〇が含まれていて食べると危険といった情報に出くわします。
しかし、〇〇を排除すれば、嫌な病気とも縁が亡くなり、本当に健康長寿が保証されていくのでしょうか?
また、何を目的にして健康長寿の保証を求めるのでしょうか?
健康を目的に生きたとて、それは目的と手段をはき違えた空虚な人生が待っているだけになりかねないと自分は思います。
日本は食料自給率が低いと言われています。
にもかかわらず、庶民の手の届く範囲で食品が廉価に出回っているのはなぜでしょう?
もしも、無農薬、無着色の食品だけが出回ったとしたら、どれだけ食費が上がっていくのでしょうか?
また、そうした食品が出回り、より清潔で健康的な世の中になったとして、人間が病いに罹ることのない世の中になっていくことが、本当に保証されるのでしょうか?
ある程度の毒をも食らうことも是とし、目の前に出された食料をおいしくいただくことのほうが、より健全な世の中になっていくような気がするのです。
なぜ、日本が食糧難に陥ることなく、餓死者も滅多に出すことのない豊かな社会になれたのか?
豊かさに胡坐をかいて食品成分にクレームをつけるまえに、一考すべきことではないのか?と自分は考えています。
一方的な論理で悪と見做される部分を排除しようとしても、それは決して問題解決にはつながりません。
テロ、紛争問題などを見ても、それは証明されています。
単純に〇か?☓か?だけで判断、処理できるようなものではないと捉えています。
とまぁ、こんな具合にいろいろと考えてしまいました。
賛否あるかと思われますが、自分の中にあるモヤモヤ感が、言葉で表現できるきっかけ、場所というものは、とても貴重だと改めて思いました。
また、自分の言葉にすることで自分の思考をさらに深めてくれるような気もしています。
次回の心学商売繁盛塾は、読書会です。
10月28日(月)心学読書会
こちらも、多面的にかつ深く物事を考えられるような機会としていきたいと考えております。
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