会社でも個人事業でも言えることですけど、それぞれに看板を掲げますよね。
そして、自分自身が精一杯そこで仕事をし続けていけば、きっと誇りが生まれてくると思うんですね。
お客さんを大切にしながら、そうしたことを継続していくと、いつの間にやら会社や個人商店の看板に自分という個とは別の人格が生まれてくるような気がしているんです。
自分が捧げているものへの敬意というものなのでしょうか?
あるいは、お客さんや世の中への貢献を通じた徳積みの結果なのでしょうか?
巷では、そうしたものをブランディングなどと呼ぶのかもしれませんが、僕はちょっと違うと思うのです。
そうした看板に宿る魂、念というものは、このような利己の精神とは真逆のものだと感じているからです。
自分という個よりも上位にあるものが、看板だと自分は考えています。
その順位を入れ替えてしまえば、このように身も蓋もない状態になってしまうものだとも思います。
「会社は社会の公器」松下幸之助氏は、このように表現しています。
松下産業という大会社だからそうなのだと感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、そうではないのです。
中小零細企業であっても個人商店であっても事業を始めた以上、同じだと自分は考えているからです。
どのような職種か?どのような規模か?といったことが、割と重要視されがちですが、大切なのはどのような尊い働きができるのか?
このように経営の語源は、仏教用語だと言われる所以が、そんなところにあるように感じています。
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